大判例

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東京高等裁判所 昭和36年(行ナ)62号 判決 1961年12月21日

原告 味の素株式会社 外一名

被告 日本甜菜製糖株式会社

主文

原告らの訴を却下する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一請求の趣旨

原告ら訴訟代理人は、「昭和三五年審判第一八七号事件について、特許庁が昭和三六年五月六日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めると申し立てた。

第二請求の原因

原告ら訴訟代理人は、請求の原因としてつぎのように述べた。

一、被告は、昭和三五年三月二九日原告らを被請求人として、(イ)号説明書記載の「アミノ転移によるグルタミン酸の製造法」は特許第二五八五八九号特許権の範囲に属しない旨の確認審判を請求したが(昭和三五年審判第一八七号事件)、これに対し、特許庁は、昭和三六年五月六日右審判請求を却下する旨の審決をなし、その謄本は同月一七日原告らに送達された。

二、審決は、審判請求人たる被告は右確認審判を請求するについて利害関係を有しないものとするのであるが、その理由において、「被請求人は本件請求は却下さるべきか、または請求人の主張と同じく(イ)号説明書記載の方法は本件特許の権利範囲に属しない旨を答弁し……該方法が本件特許の権利範囲に属しない理由については特に記載していないが、これは被請求人が上記却下の理由が消失した後においても、なお(イ)号説明書記載の方法が本件特許の権利範囲に属さないことを認諾したものと解すべきであるから、少くとも(イ)号説明書記載の方法が本件特許の権利範囲に属しない点においてはすでに当事者間に争いが存在しないものといわなければならない。」と判示している。

三、しかしながら、審決は、つぎの理由により違法であつて、取り消さるべきものである。

(一)  審決の理由によれば、審判被請求人たる原告らにおいて(イ)号説明書記載の方法が本件特許の権利範囲に属さないことを認諾したものと判示されているが、これは失当も甚しいものである。なるほど、右確認審判請求事件について審判被請求人たる原告らが昭和三五年六月一四日特許庁に提出した答弁書には、答弁の趣旨として、「本件審判請求はこれを却下されんことを求める。(若し却下されない場合は)(イ)号説明書に記載されたグルタミン酸製造法は第二五八五八九号特許の権利範囲に属せず。(これは「属する」と記載すべきを「属せず」と誤記したものである。)審判費用は審判請求人の負担とするとの審決を求める。」と記載されている。しかしながら、右答弁書中答弁の理由第一項において審判請求の却下さるべき理由を述べ、第二項において却下されない場合に備えて(イ)号説明書中の不明事項七点につき釈明を求め、第三項において本案に入つての答弁は釈明を待つてする旨説述しているのであるから、答弁書全体の趣旨からして原告らが審判請求人たる被告の申立をそのまま認めるような「属せず」との答弁をするはずがないこと、また前記のように答弁の趣旨の記載において「(イ)号説明書に記載されたグルタミン酸製造法は第二五八五八九号特許の権利範囲に属せず。」の前には「(若し却下されない場合は)」の条件を設けていること、もちろん「属せず」の理由は一言半句も記載されていないこと等何れの点から考察しても、審判被請求人たる原告らか「属せず」と答弁する真意がなく、前記答弁の趣旨における「属せず」が「属する」の誤記であることは何人にも明らかなところである。

審決の理由において判断された事項には既判力がないけれども、事実認諾していないのに認諾したものと判断し、その認諾の故に審判請求を却下するというのでは、審判被請求人たる原告らは承服しえない。しかも、審判請求人たる被告は、特許庁の判断であるからと原告らの認諾があつたものと解し、形式的には請求を却下されながら実質的には満足するに相違ない。その結果、被告は本件審決に対し自ら訴を提起せず、原告らの実質的不服は他に救済の方法がないので、原告らは本訴において本件審決の取消を求めるものである。

(二)  なお、他の見地からも、原告らは本件審決の取消を訴求しうるものと解すべき理由がある。すなわち、審決取消の訴は、民事訴訟における第一審判決に対する控訴ではないけれども、実質的には控訴に類する本質を有する。しかして、控訴の場合、訴却下の判決に対しては請求棄却の判決を求めた被告も控訴して本案判決を求める利益があると解するのを正当とし、この控訴適格者の解釈は訴の取下の場合の被告の消極的確定の利益に基く被告の訴権のそれに類するわけであるのであるが、右見解に準拠すれば、原告らにおいて本件審決の取消を求める利益があるということができよう。

(三)  さらに、本件審決に対する訴を提起して裁判所の正しい判断を受ける権利がある。すなわち、本件審決によると、(イ)号説明書記載の方法が本件特許の権利範囲に属さないことは審判被請求人においてこれを認諾したものと解すべきであるから云々と説明し、当事者の認諾をそのまま承認すべきものであるとする民事訴訟上の争の場合と同一視している。しかし、旧特許法下の権利範囲確認審判においては当事者が特許権の範囲を処分しうべきものとはしておらない。もし、そのようなことを認めるときは、世間一般に同一に確定すべき特許権の範囲が馴合のため不当に変動するおそれが生ずる。したがつて、審判官は審判手続においては民事訴訟におけるように当事者の処分権をそのまま認めて認諾判決をすることができないのにかかわらず、本件審決は、これに反して、審判官のなすことのできない審判をなしているわけであるから、審決主文につき利益を受ける当事者も、不利益を受ける当事者も、均しくさらに正しい判断を受ける権利があるものといわねばならない。

第三被告の答弁

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、つぎのように述べた。

一、本件のような権利範囲の消極的確認審判請求における請求却下の審決に対しては、審判の被請求人側には出訴の利益がないから、本訴は却下を免れない。けだし、請求却下の審決は、どのような理由に基くとしても原告らの特許権の範囲に法律上何らの消長をきたさないものであるから、右行政処分により原告らはその権利を害されるおそれは全くなく、したがつて、右審決の取消を求める行政訴訟を提起する利益を有しないからである。このようにして全体として訴の利益を欠く以上、個々の審決理由についての不服は問題となる余地はない。特に、本件において、原告らは、審判請求に対して自ら被告に請求人としての利害関係のないことを主張して請求却下を申し立てたのであり、請求却下の審決によつてその第一次的申立は全部容れられたわけであるから、その不服は法律上審決の効力と関係のない審決理由中の判断に関することに帰着する。なお、原告らは、民事訴訟において請求棄却の申立をして本案について応訴した被告は、訴却下の判決に対しても本案につき判断を求めるため上訴をする利益を有するとの理論を援用するが、これは自らまず訴却下を求めた場合には妥当しないことはいうまでもないところである。

二、原告らは、審判手続において提出した答弁書で、(イ)号説明書記載のグルタミン酸の製造法は原告らの特許の権利範囲に属せずとの記載をしたが、「属せず」とは「属する」の誤記であることは答弁書全体の趣旨より明白であるのにかかわらず、審決はこれを認諾したものと解して、被告の利害関係を否定したのは不当であると主張する。この点につき念のため被告の見解を明らかにすれば、一般的にも、右は一定の申立の重要な部分であるから、これを誤記と認めることは困難であるし、また確認審判の被請求人が自ら「権利範囲に属せず」と答弁する事例はしばしば見受けられるところであるから、審決がかかる判断をしたのは無理からぬことである。しかも、本件においては、原告らの本件特許の出願公告があつたとき被告が異議の申立をしたところ、原告らは昭和三四年八月一日附答弁書を特許庁に提出したが、原告らは、右答弁書において、被告が公知であると主張する本件(イ)号説明書記載と同一の製造方法は原告ら出願の方法とは全く別個であるから、被告の異議は理由のないことを主張している点に徴しても、前記答弁書に原告らが「権利範囲に属せず」と記載したことは、その当時真意に出たもので誤記ではないと認めるに十分である。

三、原告らは、特許審判においては職権主義が行われるから、弁論主義の行われる民事訴訟の場合のように被請求人が認諾しても何んら効力はなく、これにかかわらず審判官は職権で本案の審決をすべきであると主張する。もとより、被請求人が権利範囲に属せずと答弁しても、直ちに民事訴訟における請求の認諾におけるように本案の確定審決と同一の効力を生じるものではないが、本件審決は、単に当事者間に特許権の範囲についての意見が一致して争のないこと、本案審決をする必要性のないことを判断する事情として認定し、これに基いて審判請求人たる被告の利害関係の存在を否定して請求を却下したわけで、従来の判例に従つた処置に過ぎない。原告らの右主張は当をえない。

第四証拠関係<省略>

理由

成立に争のない甲第一及び第三号証によると、原告らは特許第二五八五八九号の特許権者であるところ、被告は、昭和三五年三月二九日原告らを相手方として特許庁に対し、旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第八四条第一項第二号に基き、(イ)号説明書記載の「アミノ転移によるグルタミン酸の製造法」は特許第二五八五八九号特許権の範囲に属しない旨の確認審判を請求したが(昭和三五年審判第一八七号事件)、右特許権の範囲の確認審判請求に対し、特許庁は昭和三六年五月六日に審判請求を却下する旨の審決をしたこと、並びに、審決が審判請求を却下した理由は、審判被請求人たる原告らにおいて審判請求人たる被告の主張と同じように、(イ)号説明書記載の方法は本件特許の権利範囲に属しない旨答弁しているので、(イ)号説明書記載の方法が本件特許の権利範囲に属しないことについては当事者間に争が存在しないものということができるから、審判請求人たる被告において確認審判を請求するについて利害関係を有しないことに帰着するとの理由によるものであることは、明らかである。

まず、本件訴の適否について判断する。

特許権の範囲の確認に関する審判において確定審決の登録があつたときは、何人も同一事実及び同一証拠に基いて同一審判を請求することができないことは、旧特許法第一一七条の規定するところである。しかしながら、審判の請求人が利害関係を有しないとの理由をもつて審判請求を却下する旨の審決がなされたに過ぎない場合にあつては、該審決は特許権の範囲自体について何らの消長をもきたすものではないから、審判被請求人の権利ないし利益はこれによつて侵害されたものということはできない。それ故、審判被請求人は、利害関係がないとして特許権の範囲の確認審判請求を却下した審決に対し右審決の取消訴訟を提起する利益を有しないといわねばならない。本件において、原告らは、原告らが特許庁に提出した答弁書に答弁として(イ)号説明書記載の方法が「原告らの特許権の範囲に属しない」旨を記載したのは、「原告らの特許権の範囲に属する」旨記載すべきを誤記したのであり、右誤記は答弁書全体の趣旨から明瞭に看取されるにかかわらず、特許庁が被告の審判請求を利害関係がない旨判断したことを不服の理由として述べているけれども、右の記載が誤記に出たものかどうかを審理するまでもなく、本件審決によつて原告らはなんら権利ないし利益を侵害されないこと右説示のとおりである。(原告らは、右審決があつたからという理由だけでは、進んで被告を相手方として特許庁に対し「(イ)号説明書記載の方法が特許第二五八五八九号の権利範囲に属する」旨の判定を求めることは妨げられないばかりでなく、民事訴訟その他の手続において同様の主張をすることについて何らの制約をも受けるものではない。)されば、本件訴は訴の利益を欠き不適法なものといわねばならない。

原告らは、この点につき、民事訴訟において訴却下の判決に対し請求棄却の判決を求めた被告も控訴の利益を有するのと同様の見地から、審判請求を却下した審決に対し審判被請求人も取消訴訟を提起する利益を認められるべきであると論ずる。なるほど、民事訴訟において控訴の利益の存否につき所論のような見解もないわけではないが、右見解の当否はしばらくおき、成立に争のない甲第二号証(原告らが特許庁に提出した答弁書)によると、審判被請求人たる原告らは、審決理由と異なるとはいえ、ともかく審判請求人たる被告が審判請求につき利害関係を有しない旨主張し、また(イ)号説明書の記載の不備を問責して、いずれの理由によるも被告の審判の請求は却下されるべきものであると申し立てていることが認められるから、これによつて見れば、審決により審判被請求人たる原告らの第一次的申立は認容されたものであり、原告らにおいて審決に対し不服を申し立てる余地はないものといわねばならない。民事訴訟において訴却下の判決に対し請求棄却を求めた被告に控訴の利益を認める見解によつても、当該訴訟を機会に本案判決を期待する被告の利益保護をはかろうとするものであるから、第一次的に訴却下の訴訟判決を求めた被告に対してまでも控訴の利益を認めるものではないであろう。されば、右民事訴訟における控訴の利益に関する見解は本件に適切でなく、原告らの主張を支持すべき論拠とすることはできない。

右のように、原告らの本件訴はその利益を欠くものであるが、原告らは、審決が審判被請求人たる原告らが審判請求人たる被告の請求を認諾したものと認めているのは、審判において当事者に処分権を許容しない特許法の法理に違背していると主張するので附言するに、甲第三号証(審決)には、「審判被請求人たる原告らにおいて(イ)号説明書記載の方法が原告らの特許権の範囲に属しないことを認諾したものと解すべきであるから」云々と記載されているけれども、審決の行文を精査すれば、右認諾なる文言は、利害関係を判断する前提事実の存否を認定するに当り、審判被請求人たる原告らが(イ)号説明書記載の方法が原告らの特許の権利範囲に属しない旨述べたことを説示したにすぎないものであつて、請求の本案につき認諾したものと認めたものではないから、特許法が特許権に関する審判事件において、本案の審理につき処分権主義を排斥し、職権探知主義の原理に立つていることと牴解するものでない。

以上のとおりであるから、原告らの本件訴は訴の利益を欠く不適法のものであるので、これを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 原増司 山下朝一 吉井参也)

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